私がSMに興味を持ったきっかけ~月緒のSM今昔物語~

緒月月緒
こんにちは。少し間が空いてしまいましたが、皆様この猛暑猛暑の日々をどうお過ごしですか?
私は極力出歩かない様にしていますが、お仕事がある以上は外に出ざるを得なくて、地味に日焼けを重ねています。もう暑いの飽きました。
暑いのは苦手なのです。早く真冬の寒さ来て。寒さが恋しい。

本題に入る前に、前回のブログで綴った自称Sと自称Mですが、私の周りでも反響があって、自称Sや自称Mに遭遇した際の面倒くさい出来事を沢山聞きました。
たぶん…自称Sも自称Mもいなくならないでしょう。今も昔もこれからも永遠に。
だって、『自称セックス上手いんだぜ俺』がいつまでもいつまでも存在するんですからね。
もしも自称Sや自称Mが現れたら、『すぐSとMに分けたがる人っていますよねー。私どっちでもないですー。うふふー』で乗り切っちゃいましょう。

という訳で今回は自称とは真逆の『本物のSとM』について私の独断と偏見というか、これまで出会ってきたり体験してきた中での考えを綴ろうかと考えていたのですが
……その前に私がSMに興味を持ち、SMを始めたきっかけをお話しますね。

Twitterで散々SMの目覚めについてツイートをしているので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれないですが、幼少期に父が隠し持っていた某漫画で登場した人犬を目にした瞬間、やたらと高揚感が湧き上がり、心の臓を鷲掴みにし、下腹部の奥…子宮の辺りが熱を帯びたのです。
自由を拘束され、首輪に繋がれ四本足歩行をし、本人の意思など無視でやられまくり。
幼女ながらに興奮要素が盛りだくさんでした。とはいえ、実際に人犬プレイをする機会は当然なく、ただひたすらに同じページを見続ける程度でした。

ですが、人犬の漫画ばかりを読んでいた事がまずかったのか親に漫画を隠されてしまい、それ以降はその漫画を見ることはありませんでした。親に見つからないようにこっそりと読んでいたはずだけど、幼女の行動なんて親には筒抜けですよね。今の脳みそで出逢いたかったわ。したらば、あえて親の前で読んで人犬の良さを意気揚々と語り尽くしたかも。

そんな人犬の興奮から暫くして出会ったのは、時代劇で女性が折檻をされるシーン。
白い薄布の着物を着た女性が麻縄で拘束され、桶の水を真正面からぶっかけられて苦痛に顔を歪めていたり、濡れた着物から透けて見える乳首が兎に角いやらしくて、それはもう両の目をかっぴらいてテレビ画面を凝視しました。
この時、母が時代劇ファンだったのと、幼女が折檻シーンを見て何も思わないと取ったのか、いつ何時もチャンネルを変えられる事無くしっかりとじっくりと見れました。
女囚幻想 神納花
編集部注釈:画像は本文とは関係ありません。「DVD女囚幻想 神納花」より

ですが、数ヶ月後に大問題が起きました。
五歳の終わりまで幼稚園に行っていなかったので、昼間の時代劇再放送はいつだって見れたし、漫画を隠されるまでは人犬の漫画だって読み放題でした。
折檻シーン最高、人犬最高、妄想で何時間だって過ごせるくらいにどハマリしていました。
それなのに、もうすぐ六歳になるというのにいつまで経っても人と喋らず大人しい私を案じた両親によって、いきなり幼稚園へ通わされる事になってしまったんです。
私の楽しいエロライフは強制的に終わりを迎えてしまいました。

吃驚しました。お家で平和に時代劇の再放送を見ていた時間が、お洋服を脱がされパンツ一丁と靴下と運動靴という霰もない姿で幼稚園の周りを走らされるという時間に変わり、人犬や折檻シーンを思い出して妄想に明け暮れていた時間が、お迎えのバスを待つ時間となり、エロさの欠片も無い歌をうたう時間となり、同じ制服を着た幼児達とお喋りしたり遊んだりしなきゃいけない時間となり、それはもう苦痛でしかありませんでした。
編集部注釈:現在では信じられないが、パンツ1枚で運動させていた幼稚園も多かった。

だから、やりました。折檻ごっこを。
木に同じ幼稚園の幼女を縛り付けて制服をめくったり脱がしたり、軽いビンタをしたりしました。園内でやったので当然の如く先生に見つかり、当然の如く母に伝えられて、ソッコーで折檻ごっこ禁止令が下りました。
今思い出すと確かにアウトですね。

そんな幼児期を過ごしてから小学校高学年で出会ったのが伊藤晴雨さんの責め絵。縛られた女性の美しさに惹かれると同時にやはり緊縛最高、苦痛に顔を歪める女最高と再確認し、そこから責め絵探しの古本屋さん巡りが始まりました。団鬼六先生の本に出会ったのはこの時。

それから紆余曲折を経て十八歳で風俗嬢となり、勿論SMクラブでも働きました────が、すぐに辞めちゃいました。
この頃にはSM雑誌を読み漁っていて理想とする縛り師さんがいたんです。ですが、当たり前だけど素人のお客様で玄人レベルの縛りが出来ることは無く、玄人の様に手順良く責められるわけもなく、そして憧れを抱くばかりで実践をしてこなかった私は、お客様に対して勝手に期待して勝手にがっかりしていました。

そしてなによりも、苦痛を受けるには相手を知り、相手を想い、相手を信じ、相手に全てを委ねられる気持ちが必要なのだと、僅かなSMクラブでの経験を通して理解しました。
私は甘ったれなので、責め手さんの心を感じ取れないと自分の体を委ねる事が出来ません。
その心が愛なのかは分からないけど、そっと触れた時、そっと触れられた時、その一瞬で感じられる想いが温かいものでないと私の心と体は開きません。我が強いとも言うのかも。

それに、一応はお金を稼いでいる商売道具の大切な体だし、どうせ同じ治療を受けるのならば自らが望んだ相手からの傷がいいし、責めを受けて負った怪我は自己責任だと言い切りたい。
なので今現在はショーのみでしかSMをしていません。

プライベートでSMをしないのは、たんに自分の求めていたSMがSMショーというステージにあったからなのですが、幼い頃に受けた衝撃と興奮と高揚がステージにあって、私が憧れ続け求め続けていた責めをしてくれる方のパートナーになれて、上手く言えないのですが……生きてて良かったです。自分を諦めなくて良かったです。

ちなみに私の弟は、スカトロ好きのハードSM好きです。その昔、母が私にひとつの引き出しを指さして『お姉ちゃん、あの引き出しは弟くんの秘密の引き出しだから開けたらダメよ』と、いかにも開けてくれと言わんばかりのフラグを立ててくれたので、母の期待に応えるべく引き出しを開けました。
そこに入っていたのは、数冊の三和出版さんのお尻倶楽部、それとガッチガチのハード責め盛りだくさんのSMビデオでした。人間ダーツとか、クレーン車に吊り下げられた女性がプールに沈められたりとか、熱湯と冷水を交互に浴びせるとか、ドラム缶に突っ込んで水を流し込むとか、水車に拘束して水責めとか、そんな責めのオンパレードで、血は争えないな……と感心を通り越して感動すら覚えてしまいました。

皆様も様々な性嗜好を持っているかと思いますが、目覚めたきっかけは覚えていますか?

筆者幼少期
月緒幼少期その1

筆者幼少期
月緒幼少期その2

緒月月緒 Twitter
今年で風俗歴23年となる現役風俗嬢で、液体サロンシエスタや都内某所にあるSMバーでも時々働いています。
他に、たまーにエッチな映像に出たり、ちょっとばかりエッチなショーをしたり、SMショーにてM女をしたり…、肌色の多いお仕事をしています。あれやこれやといろいろしているので、一体なにが本業なのかと人に問われたら、ただただシンプルに『脱ぎ屋』だとお答えしています。